憂鬱なので、これまでのことをざっくりまとめてみた。
「心の砂漠化」
ある日ふとそんな言葉が浮かんだ。
具体的にいつからなのかはあんまりわからない。
何かあったわけではない。でも渇いている。
今の私は、
・別に死んでもいいかなって思う。
「死にたい」じゃないけど、「死にそうな人がいたら体交換してもいい」「時間が売れるなら足りない人に分けてもいい」と思う。
・でも「死にたい」って思う時もある。頻度・持続期間はまちまち
・きれいなもの(花とか)をきれいと思えない。世界がくすんで見える。
・他人の幸せも、自分の幸せも願えない。
・食べたいもの、したいことが思い浮かばない。浮かんでもやる気がおきないor今やる事ではない気がしてくる。
・休日もリフレッシュできずに鬱々と過ごしている。(読書でも映画鑑賞でもすればよいのですが、「今これをやっている場合ではないのでは」という罪悪感・焦燥感にかられる。)
・人(学が浅い人、太っている人、だらしない・ダサい格好の人、不平不満を言う人とか)を見下しがち。
・ついでに自分自身も見下しがち。
・集中力がない。
・言葉つまりがち。どもりがち。
・何かに反応してしゃべっても「棒読みじゃん」「感情こもってない」と言われる。
・身なりに気を遣えない
・今の状況に感謝できない
・なんでもめんどくさい。 トイレ行くのもめんどう。
などなど。
でも、
薄給だけど正社員として働けて、一家離散もなく、貯金も少しはあり、目立った病気もなく、手足が使えて目が見えて耳が聞こえて、大きな壁は今も昔も立ちはだかっていないと思う。
立ちはだかっている壁があるとすれば
「生きるのが楽しくない」
という壁で。
「なんでなんだろ」
って思って。
「Why」じゃなくて「How」で問え、
つまり「なんでよくないのか」じゃなくて「どうしたらよくなるか」という前向きの問いを立てろ、とどこかの賢者が宣っていたと思うが、「なんでこうなった」という問いがこびりついてて。
高校まで、いじめられず、勉強もちゃんとやってまあまあ良い成績残して、一家離散もなく、大きな災害に遭うこともなく、大きな病気もせず、体にも不自由はない。仲良くしてくださる人もたくさんいる。
「なのになぜ」
振り返れば中学のころから悶々とし始めていたような気がする。
端的に言えば「やる気がない」「生かされている」感覚。
なりたいものもなく、達成したい目標もなく、ただ漫然と、でも焦燥感を持って過ごしていたのではと思う。周りの友達は高い志を持っている人が多く、「こうこうこういうところで働いて世界の平和に貢献したい」という崇高な目標を持っている人も少なくなかった。
そんな友人を横目に
「さて、自分は何がしたいのか」という問いが、ネガティブな方向に取り憑いていたように思る。
でもとりあえず、時間割通り勉強すればよかった。
指定されたページの問題を解き続ければよかった。
努力している意識なく、勉強に励めていた。
それもだんだんできなくなっていった。努力が必要になってきた。
なんとなく学歴高い大学への受験・進学を検討していたがやめた。
おぼろげな目標もないまま系列の大学に内部進学。
時間割も、生活スタイルも、決まっていない。
どの問題解けばいいか教えてくれない。
自分の裁量がどーんと大きくなった環境で、目標、願望、欲望そういった類が希薄な私は途方にくれた。
幸い、高校時代までの勉強の貯金があったので、
学費の減免を受け、とりあえず優秀なクラスに入り、優秀なゼミに入れ、給付型奨学金をもらい、さらに1年近く留学生活もできた。
でも
気力はどんどん削がれていくばかり。
大きな挫折はない、大失恋したわけでもない、目の前が真っ暗になるような出来事はない。なのになんで。
闇が深まる、というより色彩をうしなっていくという表現がしっくりくる。
やりたいこともなく、やるべきことも強制されない、留学生活は悲惨だった。
やりたいことがなかったのではないと気付いた。
「やっていいのか分からなかった」のだ。
自分に許可が出せないまま
何も成し遂げなかった留学生活から戻り、就活戦線へ。真面目に早く行動する同期。後押しする大学。「それが正解だろうから」と、優秀な友人と同じようにやろうとする。
インターンの応募、就活合宿の参加、対策講座受講、自己分析・・・
でも心ではブレーキを踏む私が機能していて。だから徹底してやれなかった。
一度は止めようと思った。
でもある人から
「やりたいことなんて、働いてみないとみつからん」
と説かれ、
「そっか」
と少し楽になり継続することに。
しかし、現実は。
ほぼ必ず聞かれる、若しくはエントリーシート(ES)に書かされる質問。
「学生時代力をいれたこと」通称ガクチカ。そして「志望動機」。
そんなのなかった。
世の中、「そんなのない」人の方がもしかしたら多いのかもしれない。
うまーいこと書いて、つまり「盛って」話したり書いたりして
就活戦線を乗り越えているのかもしれない。
私にはそれができなかった。
頑固だった。「ないものはない」と。
だから
提出したESは世の就活生よりはるかに少なく、
面接に進んだ会社はもっと少なく。
でも
最終的に複数内定をもらえた。売り手市場だったし、志望動機を聞かない珍しい企業だったからかな。
ある会社はうなぎのぼりの中堅ベンチャー(?)企業で
「学生の志望動機なんて高が知れている」ということで、志望動機は聞いてこなかった。地頭勝負ばっかりで、奇跡的に通った。(大量採用して、使えない奴はどんどん切っていくのだろうか)
それとは
別の会社でいま働いている。直感で選んだ。イケイケの、そして合理的思考のベンチャーより温かみを感じた。悪く言えばなんとなく選んだ。
仕事を覚える。
任されるようになる。
残業して帰って、食べて、寝て、仕事に行く。
休みの日は無気力で、充電できないまま、また仕事に行く。
そんな生活をしていた。
ある日、なんか「ベルトコンベア」みたいな人生だなと思って
何の気なしに「ベルトコンベア 人生」か何かで検索したら
海外のイラストレーターさんが書いた絵が出てきて。
そして目から水滴がほろほろ出てきた。
このまま自分の人生に主体性を持たないくてよいのかなあ。
まずは生きる意味とか目標とかどうでもいいから
もっとご機嫌に人生歩めないかなあ。
こころも頭も整えて、あわよくば自分の足で、自分の道を歩んでいる実感を得たい。
かさついた心に緑を増やしたい。花とかも咲かせたい。鳥とかうさぎとか楽しい仲間を呼べるような自分になりたい。
それを目指して、試行錯誤していきたいと思います。